ウィーンからスロバキアへ

人生を振り返っていくと
本当にいろいろあったなぁと思います(笑)

続き...
ウィーンでの研修生期間が1年終わる頃
そのままカンパニーへ行くことができるのは
クラスで(研修生クラスは10人)
1人いるかいないかでした。

英語もドイツ語もまだまだままならなかった
私は半分以上は諦めていました。
スタイルも違う、もちろん技術も。

そんな研修生が終わる最後の学校パフォーマンス
の後ディレクターに呼び出されたのです!

contract=契約する

あげる!と!

パフォーマンスで踊った
エスメラルダのバリエーションが
よかったよ!!と褒めてもらい
契約をもらえることができました。

その時の嬉しさといったら!!
今でも忘れられません。
金谷からなにも分からずに
ウィーンというヨーロッパまで来てしまい
今までは習い事として週に3回のレッスンしか
してこなかった私が一流のバレエ団の方と
肩を並べてレッスンや舞台に出ることが
恐れ多くて、自分のダメなところばかりが
見えて、でも自分で選んだ道だから
諦めるわけに行かない、日本に帰るわけにいかない
と自分を否定しながらも泣きながらも
必死でやってきた日々が報われた。

絶対ありなえないことが
実際叶ってしまった!!

ただただ日本の先生方
1番は両親に感謝と報告を
したくてすぐに連絡をしたのを覚えています。

入団後は、やはり下っぱで日本人ということも
あってか、周りから無視をされたり
嫌な態度を取られたりいろんなことがありました。
良いこともあって嫌なこともあったけど
めげずにここまで来れたのは

【自分の意思】があったからです。

反対をある意味押し切って
海外に出ました。

でも自分で決めたからめげなかった。

今でも大切にしている部分です。

1年ウィーン国立歌劇場の団員として
毎日のレッスン、リハーサル、
舞台をこなし、過酷な日々を
送らせてもらいました。

2年目の契約はもらえなかったのですが
隣の国、スロバキアのバレエ団から
前の年にオファー頂いていたので
次のシーズンから行くことに。

そこでもまたいろんな壁にぶつかります(笑)


...続く

写真1枚目
2枚目はウィーンの舞台にて。
3枚目はスロバキアのブラチスラバ城
4枚目はスロバキアでの舞台「オネーギン」の舞台

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